Vol. 1  包み込むということ                       2004.03.22

 住むための空間には「包み込む」柔らかさを持たせたいと思っています。家は古来、シェルターとして出発しました。雨風をしのぐためです。どしゃぶりの雨の中から家にたどり着くと「ほっ」とする感覚は誰しも経験していると思います。この感覚は祖先から引き継がれているもので、もはやDNAに組み込まれているといってもいいぐらいです。また、幼少時に、夕闇がせまってくると急に怖くなって家路を急ぎ、お母さんやおばあちゃんが待ってくれている家の灯かりを見つけて「ほっ」とする感覚を覚えた人も多いと思います。
 この「ほっ」とする感覚が家をつくるときの大前提ではないだろうか。そう思うと、「柔らかく」包み込まれるような空間を住み手に提供したいという考えに至ります。
「そんなの当たり前じゃないか、屋根の付いた家があれば誰だってほっとするよ」そういう声が聞こえてきそうです。確かにそうかも知れませんが、その発想は先ほど例に出した、古代のご先祖様と同じ発想ではないでしょうか。私たちはそのご先祖様より遥かに豊かな文化を持っています。家だけが「まずしいつくり」では淋しいではないですか。ソーラー、床暖房、高気密・高断熱などを駆使しても「ほっ」とする感覚とは次元の違う話なのです。
家を豊かなものとするためには、その土地、その家族にあった設計がやはり必要なのです。
そこで、家をつくるときに私たちが大事にしたいことは「ほっとする感覚」だということです。そして、それを具現化するために、「柔らかく」包み込まれるような空間を目指したいということなのです。
もちろん、「包み込む」と言ってもそれが閉塞感や圧迫感につながってはいけないので、適切な隙間を取ること、手に触れる部分と視覚優先部分の素材の使い分けがあり、照明計画・緑との関わり合いなど、様々な要素が複雑に絡み合っていきます。また、何より大事なのが、住み手の一人一人、感覚や価値観の異なるところを設計打合せの中で見つけ出していくことだと思っています。これらを検討していくことで、その住み手のためだけの柔らかく「包み込む」空間ができると考えています。
「ほっとする空間」と相対する言葉として「ドラマチックな空間」があるとします。「ドラマチックな空間」だけでは心が休まりませんが、「ほっとする空間」がベースにあって「ドラマチックな空間」のエッセンスがあると、生活の中に高揚感がでてきて豊かな暮らしが育まれるように思います。
まずは、「柔らかく包み込む」ことを私たちは設計の基本姿勢に据えたいと思います。
                                                白崎 泰弘

白崎 治代


Vol. 2  あそびごころ                       2004.05.21

訪れる人を出迎えるとき、その心遣いを玄関先を飾ることで表現する ごく当たり前のような気がしますが、実際に飾ってみると、自分自身も楽しい気持ちになったりします。お気に入りのグッズで飾った玄関が、帰宅する自分を出迎えてくれたなら、きっとそれは日々のちょっとした癒しになるでしょう。そう考えると、玄関先を飾ったのは自分のためかもしれない、そんな気がしてきます。
 飾ることは、住み手の自己表現の場であり、ゆとりの演出であり、暮らしを豊かに感じさせてくれるものだと思います。家の中に飾った色々なものによって、住み手自身がもてなされている、これは真の贅沢だと言えるのではないでしょうか。
 だから住まいを設計するにあたっては、飾る場所を意識したいと思います。あの絵はどこに掛けよう、ここに花を飾ってくれるといいなあ、そうすると光が欲しいなあ、住み手の暮らしを想像しながら、あるいは自分が暮らすならどう使うか考え、飾る場所を仕掛けていきます。住み手の使い方に依存する部分がありますが、飾ることは住み手をもてなすことになると考えているからです。飾ることだけではありません。光の効果、色や形の遊び、窓の景色・・・。すべては最終的には住み手をもてなすための仕掛けです。そして、これらを考え生み出す源は「遊び心」なのです。
 もちろん住み手の望む機能や性能が満たされることは必要です。便利で高性能なものが手に入る時代、それらの価値を否定するわけではありませんが、ハイスペックだけでは住まいとしては不完全、まだ物足りないと思います。そこに「遊び心」があって初めて、住まい足りうるのだと思っています。
「住まいに遊び心を添えること」―私たちの仕事のひとつだと思います。

Vol. 3  進路講演会にて                       2005.08.08

 母校の高校2年生対象の進路講演会に、講師として迎えられました。8つの教室を使い、1時限目・2時限目に8人ずつ、合計で16人の卒業生がそれぞれの仕事について講演を行いました。生徒はその16の講演の中から、事前に聴きたいものを2つ選ぶというものでした。私が在学していた頃はそんな面白い企画はなく、「うらやましいな。」とか、「私も他の人の話が聞きたい!」などと思いながら、30分程度の講演を行いました。
高校生向けということもあり、設計の仕事は、意匠・構造・設備の分野に分かれている事や、大学の学部・学科との関係の話からスタートしました。その後、設計の始まりから工事が終わるまでの1年間を、模型写真や現場・竣工写真、作業風景の写真等を使って、自分の仕事の様子を紹介しました。設計を仕事とする人は大勢いて、設計のやり方は十人十色です。さらに他の人のやり方は私にはわかりません。そんな私が設計の仕事について講演するのだから、自分自身がどんな仕事をしているか、その場その場で何を考えたかをストレートに話すことが最も意味のあることだと思い、そのような内容にしました。それにしても1年間の話を30分に納めたので、かなり駆け足で、かなり省略することになってしまいました。それでも31人の生徒さんが、メモを取りながら熱心に聴いてくれたのが印象的でした。(恐れていた居眠りもなく・・・)
 彼らのうち、何人が建築へ進むか判りませんが、いつか仕事の場で彼らに再会できたら幸いです。
 それから講演が終わった後、一人の女の子が話しかけてきました。あまりにも鋭かったので一部をご紹介しておきます。
 「欠陥住宅ってよくテレビで出てくるけど、ああいうのって、どうしてあんなことになっちゃうの?」
 「建築士が工事監理をしていない現場で、工務店が手抜きをしてることもあるけど、知識がなくて間違えることもあるよ。建築士はそういうことがないように、図面通りに工事されているかチェックするのも仕事なんだよ。」
 「じゃあ、その建築士がちゃんと仕事をしてくれているかどうかは、どうしたら分かるの?」
 「建築士並みの知識がないと確かめることはできないから、最後はその建築士を信頼できるかどうかっていう、ハートの問題になっちゃうね。お医者さんが処方した薬を『効く』と思えるかどうかと同じかな」
 彼女は、「ふーん」と言いながら席へ戻っていきました。彼女の2つ目の質問はとても鋭かったです。ちゃんと答えられなかったかもしれませんが、どんな仕事でもお客様に信頼されるというのは難しいものです。それを再認識した日でもありました。                          白崎治代